ビジョン22 調和的な未来を創造するためにVision for a Sustainable Society

2022年1月、有識者や学生の皆さんと議員が共に、社会の基本構想を議論し、中長期のビジョンを策定することを目的に、立憲民主党は「持続可能な社会ビジョン創造委員会」を設置しました。
そして同年5月、「ビジョン22~調和的な未来を創造するために~」を取りまとめ、泉健太代表が5月20日の代表会見で発表しました。

総論

調和的な未来を
創造するために

生命を守り、次世代につなぐことが政治の使命です。

Caring
お互いの声を聴き合い、心を寄せ合う
Dynamic
違いを認め合い、大胆にエネルギーを生み出す
Planetary
地球の視点で、未来へとつなげる

愛すべき次世代のために
平和で美しい日本と世界を残していくためには、
狭い自我(エゴ)の立場に執着するのではなく、
長期的・地球的視点に立つことが不可欠です。

先人たちは、太陽の恵みに感謝し、生きとし生けるものを慈しみ、
自然と調和するあり方、生き方を編み出してきました。
21世紀に生きる私たちは、生態系の精妙なバランスから学び、
社会として進化し続ける動きを止めてはなりません。

お互いの強さ、弱さを認め合い、「和の心」をもって支え合い、
健康で文化的で尊厳ある「生活」を全ての人に保障することが
政府の欠かすことのできない役割です。
順風な時も辛い時も「日本に暮らせてよかった」と実感できる
公助の整った社会でなければ、真の豊かさは得られません。

誰もが、自分自身の持ち味を活かして命を輝かすことができるように
全ての世代が学び続けられる仕組みを整え、教育・研究投資を厚くし、
「和の国」(調和の国)ならではの叡智を生み出す力を高めていきます。

技術革新と政策誘導によって、国産品を振興し、食料とエネルギーの自給率を高め、
しなやかな発想で、自立分散型の経済社会を構築していきます。
それが日本のみならず、全人類の持続的発展と幸福の基礎になります。

あらゆる立場の分断を乗り越えて、お互いに心を寄せ合い、
調和的な未来を創造するために力を尽くすことを、ここに宣言します。

2022年5月20日
立憲民主党
「持続可能な社会ビジョン創造委員会」

各論

暮らしの安心を保障するのは、医療、介護、教育、保育、障がい者福祉、住宅などのベーシック・サービス(現物給付)である。医療や介護、教育にかかるお金の不安が過剰な貯蓄につながり、個人金融資産が2000兆円を超える現状を招いている。

金融資産のかなりの部分は高齢者が保有している。自分が何歳まで生きるかはわからない。「人生百年時代」といわれ、百歳近くまで自己責任で生きることを前提に貯蓄に励み、実際にはそれ以前に亡くなる例が大半で、多額の遺産相続が発生している。医療や介護の自己負担と不安が軽くなれば、貯蓄のかなりの部分は消費に回る。子育て世帯は、大学授業料が無償化され教育費負担が軽減されれば、消費に回せるお金が増える。ベーシック・サービスの無償化や自己負担軽減は、結果的に消費を活性化する。

すべての人にベーシック・サービスを保障することで、所得格差による社会の分断を防ぎ、だれもが尊厳を持って生きられる社会を実現できる。その際、普遍主義の原則に立ち、所得の多寡によって利用できるベーシック・サービスに差を設けないことが重要である。中高所得者も受益を実感でき、高齢者も子育て世帯も単身世帯もすべての人が安心できる持続可能な社会保障制度を築く。ベーシック・サービスの充実によって、「弱者を救済する」より、むしろ「弱者を生まない」セーフティーネットを整備し、格差を生まない社会をめざす。

ベーシック・サービスに関しては、医療、介護、障がい者福祉、保育などのタテ割り行政の壁を越え、一人ひとりの暮らしに寄りそい、人生をライフステージごとにトータルで支える社会をつくる。申請が上がるまで「待つ」行政ではなく、専門職のソーシャルワーカーや地域のNPOや自治会と連携し、DXで申請漏れを防ぎ、必要な支援を必要なタイミングでスムーズに提供できる行政を整備する。ベーシック・サービスの大半は好き好んで利用するわけではなく、必要に応じて利用するものであり、さまざまなベーシック・サービスを同時に利用せざるを得ない人に過剰な負担を課すべきではない。社会保障サービスの自己負担の合計額について、所得に応じて上限を設ける「総合合算制度」を速やかに導入する。

介護、医療、保育、教育、障がい者福祉などの「ケアサービス(対人サービス)」は、労働集約的であるため雇用創出効果も高く、乗数効果も高い。ソーシャルワーカーなどの福祉の現場を支える人員の増員も必要である。今後も増える「ケアサービス」労働者が、新たな中間層のコアとなれるよう処遇を改善する。

新自由主義的な経済政策や規制緩和が、非正規雇用の増加、実質賃金の低迷を招き、格差を拡大してきた。かつて「一億総中流」といわれた日本だが、中間層は薄くなり、貧困率は上がり、子どもの貧困も深刻な状況にある。格差が社会を分断し、一握りの富裕層がより豊かになる一方で、世代を超えた格差の連鎖が起き、格差社会が行きつく先は階級社会である。また格差が大きい社会ほどお互いへの信頼が低くなりがちで、支え合い助け合う社会を築くには格差を解消して信頼を高める必要がある。

格差社会は持続可能ではない。経済がどれだけ成長したかではなく、どれだけ子どもの貧困を削減できたか、あるいは、どれだけ困難な状況にある人たちの生活を改善できたかによって政策を評価すべきである。

中間層の再生は、持続可能な社会の前提である。分厚い中間層が健全な民主主義と市民社会の基盤であり、格差が固定化されず社会的流動性のある社会こそが持続可能な社会である。税制や社会保障制度を改め、貧困層を中間層へ引き上げ、病気や失業をきっかけに中間層から貧困層へ転落することを防ぐセーフティーネットを整備する。

かつて新自由主義的な経済政策を主導していたIMFでさえ、「所得再分配の強化こそが経済成長を促進する」と主張するようになった。「成長と分配の好循環」では、成長が分配に先行することとなり、裏を返せば「成長しない限りは分配できない」という理屈になりかねない。「分配が成長を促す」というのが、これからの経済の新しい常識である。OECDの報告書にもあるように、公平な税制と再分配による格差解消は経済成長にプラスであり、所得格差と資産格差の拡大は経済成長にマイナスである。

活力のある社会をつくり、経済を成長させるためにも税制の抜本改革が必要である。公平な税制をめざし、応能負担原則を強化する。公平な税制と公正な再分配政策により、「弱者を生まない」セーフティーネットへ転換する。

さらに考えなくてはいけないのは、現在の世代と未来の世代との公平性である。財政の持続可能性はもちろんのこと、地球環境の持続可能性を考えた税制や経済政策へ早急にシフトし、持続可能な資本主義を確立しなければならない。「市場の失敗」の最たる例である気候変動問題に対応した税制を実現する。

個人にとっても社会にとっても教育は重要である。近年、親の所得格差が子どもの教育格差に直結し、「生まれ」による教育格差が生じている。特に低所得家庭の子どもたちの学力低下は深刻な問題である。教育機会の格差は、人生のスタートラインにおける機会の不平等であり、一刻も早く解消すべきである。日本の公的教育支出のGDP比はOECD加盟国で最下層である。政府が教育費を抑制した結果、家計の教育費負担が重くなっている。家計の教育費負担の重さが少子化を加速させた。家計負担が軽くなれば、希望するだけの人数の子どもを産み育てられる家庭が増え、中高所得層を含めたすべての子育て世帯の悩みを大幅に緩和しうる。経済的状況にかかわらず、学び続けることができる環境を整える必要がある。また、子どもたちの教育に携わる教員の職場環境が劣悪な状況では、子どもたちとしっかり向き合うこともできず、優秀な人材が教員を志望しなくなることも懸念される。教職員定数の充実やスタッフ職の増員などを通じ、教員が誇りとやりがいをもって教育に携わり、教育の質を高めていける環境を整える。

脱炭素化や知識経済化、DXなどの経済構造の転換が遅れている理由のひとつは、教育や職業訓練への投資不足である。終身雇用の正社員が前提の社会であれば、企業が企業内訓練に力を入れ、政府が職業訓練や再訓練に投資する必要は少ない。しかし、非正規雇用が増えて企業内訓練に期待できない今日、政府による再教育や職業訓練がきわめて重要である。政府は産業構造の転換にともなって発生する失業者を再教育し、より生産性の高い産業への転職を支援する必要がある。近年の技術革新や社会変化のスピードは速く、学校で学んだ最新の技術や知識はすぐに陳腐化してしまう。社会に出た後もいつでも学ぶことができる多様な教育機会を提供し、最終学歴ではなく「最新学習歴」を重視する社会へ転換しなければならない。教育投資は経済成長戦略であると同時に社会政策でもある。労働者の質を高める教育訓練は、労働者の生産性と稼得能力を高め、所得分配をより平等にする効果がある。

研究開発への公的投資を拡充することにより、イノベーションを加速する。短期的な成果を過度に求めることなく、長期の視点に立って政府が基礎研究に積極的に投資する。また地方の国公立大学への助成を強化し、地域活性化の核とするとともに、だれもが生まれ育った地域で質の高い大学教育を受けられる環境を整える。地域間格差を是正し、地域の多様性を尊重する分散型社会を築くためにも地方の大学の役割は重要である。

公教育には「より良い社会をつくる市民を育てる」という重要な機能がある。民主的な社会を築くには、民主的な制度や歴史的背景の知識、政策の理解力、インターネットやメディアの情報の真贋を見抜くリテラシーなど、一定の知識が必要である。それらを身につける機会が学校教育であり、シチズンシップ教育や主権者教育は重要である。

大学教育や基礎研究への投資を増やし、科学や学術への敬意を取り戻す必要がある。目先の効率性や短期的な成果を重視しがちな新自由主義的な教育改革を進め、基礎研究や人文・社会科学系学科を軽視してきた結果、反知性主義的な風潮がまん延している。その結果が新型コロナウイルス危機における科学的リテラシーを欠く政策判断や思いつきのような政策決定だ。学問の自由や大学の自治を尊重し、科学や学術への敬意と信頼を取り戻し、より良い社会とより良い市民を育てる教育をめざす。

かつて「失われた十年」といわれ、いまや「失われた三十年」になりつつある。新自由主義的な経済成長至上主義では経済は成長しなかった。低成長、実質賃金の低下、財政悪化、人口減少、気候変動などの見たくない現実から目を逸らし、従来型の経済成長戦略を続けるのは限界である。発想を変える時期だ。経済成長は手段であって目的ではない。経済成長だけでなく、自由な社会かどうか、暮らしやすい街づくりはなされているか、環境や生物多様性は保全されているかといった点も重要である。成熟した経済、人口減少が続く社会では、急速な経済成長は期待できない。経済には好不況の波があり、恒常的に成長するものでもない。「成長と分配の好循環」では成長しないと分配もできないことになる。格差の拡大を防ぐため、経済が成長しようとしまいと、分配を重視すべきである。

これからの経済政策の目的は、貧困と格差の解消、脱炭素化、そして、すべての人が潜在能力を発揮できる社会をつくることであるべきだ。従来の減税と公共事業を中心とする「投資先行型経済」から、セーフティーネットを充実させて将来の安心を保障し消費を活性化する「保障先行型経済」へシフトすべきである。

いまや「経済か環境か」という二者択一の発想は意味がない。人類の生存がかかった状況では、環境より経済を優先する贅沢はゆるされない。環境を守れないと経済は成長しない。脱炭素化が経済成長と利益につながる市場システムを創り出す。非倫理的なことは非経済的な時代になりつつある。「市場の失敗」を超えて倫理的な経済システムを築かなくてはならない。市場メカニズムを調和と共生を重視する方向へ軌道修正する。経済成長至上主義でも脱成長でもなく、環境と経済を両立する脱炭素経済へシフトする。脱炭素化を、DX、サービス化(製造業のサービス産業化)、知識経済化と同時並行で進め、自然エネルギーの普及や省エネ、教育、科学技術への公的投資を拡充する。

持続可能な経済システムのまん中には人がいる。非正規雇用の増加や実質賃金の低下が消費低迷の元凶であり、雇用の質の改善や賃上げが景気回復につながる。非正規雇用の割合の高い女性と若者の労働条件の改善は急務である。同一価値労働同一賃金を徹底し、最低賃金引き上げにより若い世代の雇用条件を改善する。非正規雇用ほど未婚率が高く、少子化の一因になっており、若い世代の雇用の改善は効果的な少子化対策となる。雇用の正規化、ワーク・ライフ・バランスの改善、男女差別解消に取り組む。女性差別の撤廃は労働参加率と生産性改善に役立つ。多様な働き方を可能にする制度を整え、すべての人が能力を発揮して人間らしく働ける環境をつくる。

気候危機に対応する定常社会では、物質的な豊かさだけではなく、心の豊かさを重視する経済へとシフトするだろう。人生を豊かにしてくれる文化や芸術は、雇用創出や産業的な側面からも重要であり、人材育成や税制優遇などで支援すべきである。

日本が気候危機、感染症、海洋汚染などのグローバルな課題解決に貢献することは、日本の国益でもあり、持続可能な世界をつくる上でも重要である。発展途上国の脱炭素化を支援し、気候変動にともなう自然災害の激甚化に備える防災・減災の国際協力を拡大する。地球規模の感染症対策などの医療支援を強化し、地球全体の健全性を保つ「プラネタリーヘルス」を推進し、日本と世界の共通の利益を増進する。

いまだに日本の都市計画や地方自治は、経済成長と人口増を前提とした高度成長期の発想からさほど変化していない。低成長と人口減少、気候危機や自然災害の激甚化、経済の成熟化の時代にふさわしい持続可能な都市計画や街づくり、住宅政策へと転換しなくてはならない。首都圏一極集中の弊害は災害や感染症のリスクにとどまらない。出生率の低い首都圏や大都市圏に人口減少が進む地域から若者が流入すれば、さらなる人口減少と地方の衰退を招く。大都市圏への人口集中を緩和し、分散型社会への転換を図る。

脱炭素化のための公共交通機関や都市インフラの整備、地球温暖化による自然災害激甚化に備えた防災・減災、都市への過度な人口集中を緩和する「脱・都市化」政策に取り組み、分散型の都市計画や自然と調和した街づくりをめざす。自動車だけでなく、公共交通機関や徒歩・自転車で移動できる都市への転換を図る。人口減少社会では利用者が減少するので、余剰インフラの縮減が求められる。バリアフリー化や耐震化、省エネ化に投資する一方で、老朽化したインフラは一部を間引いて更新・維持管理し、財政的な持続可能性を高める。耕作放棄地を森に戻したり、老朽化して不要になったダムを撤去して自然の河川に戻したりといった、新しいタイプの公共事業に目を向け、自然との調和を回復する。地方活性化のため地方への移住(Uターン、Iターン、Jターン)を積極的に支援する。

人口減少社会は、成熟社会でもある。人口過密が緩和されるため、豊かさを実感できる街づくりや住環境を実現しやすくなる。高度成長期のような人口増加と地価上昇を前提とした住宅政策ではなく、人口減少と地価安定を前提としてすべての人に住まいの権利を保障する住宅政策へシフトする。空き家が増えるなかで住宅新築を促す政策は無駄が多く、景気対策としての住宅政策は時代遅れである。これからは福祉政策および環境政策としての住宅政策が求められる。省エネ性能が高く住み心地のよい住宅の供給を促し、借家に住んでいる人たちの住環境改善と住居費負担の軽減をめざす。空き地や工場跡地などの空間を公園や緑地、市民農園に転換し、緑豊かな街づくりを実現する。成熟した定常社会にふさわしい落ち着いた都市計画・街づくりは生活の質を高める。

農林水産業の持続可能性の回復も急務である。食料自給率を高めつつ、環境と調和した農林水産業を振興する。過剰な化学肥料や農薬で国土と人体を汚染することのないよう環境と調和した循環型農業をめざす。農林水産業は市場原理だけで捉えるべきではなく、社会全体で持続可能な農林水産業を支える。気候変動への農林水産業の影響は大きく、農林水産業の脱炭素化も重要な課題である。自然エネルギーの普及に関しても農林水産業との関係が深く、農林水産業の発展と自然エネルギーの普及がバランスよく進む政策環境を整える。

私たちは、多様性を尊重する自由な社会をめざし、国家が「人間はこうあるべきだ」というモデルを社会全体に押しつけるべきではないと考える。人は少しずつ違っている。「男らしさ」や「女らしさ」を押しつけ、「こうあるべきだ」と同調を迫る息苦しい社会ではなく、だれもが自分らしく生きられる社会、すべての人に居場所と出番のある共生社会を実現する。

性別を問わず、個性と能力を十分に発揮できるジェンダー平等を確立する。日本では男女差別や男女の賃金格差がいまだに根深く存在し、ジェンダー・ギャップを埋める制度改革と意識改革が強く求められる。国会議員に占める女性議員の比率は先進国最低であり、ジェンダー格差がもっとも顕著な分野が政治である。まずは候補者の男女比を半々にする「パリテ」の早期実現をめざす。

雇用や昇進においても女性は不利な立場におかれ、非正規雇用の割合は女性が高い。女性に不利な雇用慣行を抜本的に改め、女性が働きやすい環境や制度をつくる。雇用と昇進における女性差別に対する罰則を強化し、男女差別を早期かつ完全になくすべきである。

さらに保育所の整備を進め、男性の育児休業取得率を向上し、男性の家事能力を高める支援を行い、女性の労働参加率を高める。女性の労働参加の促進は経済成長につながる。またフランスや北欧諸国の例を見ても、女性の地位が高く、男女差別のない国の方が、女性一人あたりの出生数が多くなる傾向がある。経済政策と少子化対策という観点からも、女性に対する雇用差別をなくし、同一価値労働同一賃金の原則を徹底する必要がある。

生まれや性別、障がいによって差別され、自由な選択ができない社会は、公正に反する。多様性を尊重する自由な社会、自分らしく生きられる社会をつくるため、選択的夫婦別姓や同性婚を早期に実現する。障がい者差別、性的指向や性自認に基づく差別、部落差別、国籍による差別、ヘイトスピーチなどあらゆる差別に厳しく対処するための法整備や教育啓発活動をさらに強化する。差別や不寛容の背景には社会の分断がある。同じ日本社会に生きる市民としての連帯感を醸成して分断を克服し、孤立を感じずにすむ共生社会をつくる。

日本社会はさまざまな理由で分断されている。所得格差による分断、インターネットのアルゴリズムが作り出す情報の分断、教育や学歴による分断、世代間の分断、都市と農村の分断などでバラバラになった日本社会に調和をもたらし、持続可能な社会を創り出す政治が求められている。

競争を神聖視する新自由主義的な考え方は、経済だけではなく、政治や教育といった分野にまで広がった。協調や協働よりも競争を重視する価値観は、敵と味方に分けて声高に罵り合う政治スタイルを生み、冷静な対話や事実と論理に基づく熟議よりも、短くて歯切れのよいキャッチコピーで政治が動く状況を招いた。世界で蔓延するポピュリズム政治は日本にも広がり、長期的な持続可能性を無視した政策が採用されてきた。政治に対するシニシズムとあきらめが広がり、投票率は低下し、地方分権は後退し、若者の政治参加は低調で、議員に占める女性の割合も低いままである。多くの国民が政治は国民から遠いところにあると感じている。

政治の劣化、法治国家としての機能不全も甚だしい。機能する民主主義には、嘘をつかない誠実な公務員、政治の圧力に屈しない公正な裁判官や検察官、権力を私利私欲や党利党略に濫用しない政治家が不可欠である。しかし、政治の緊張感が失われ、権力の濫用を国会やメディアが十分に監視できない状況に陥っている。立法・行政・司法の三権のチェック・アンド・バランスが機能せず、国会での虚偽答弁や公文書の改ざん、検察人事への政治介入などの問題を引き起こした。国会の行政監視機能を強化し、報道の自由を尊重し、情報公開を徹底して、政治への信頼を回復しなくてはならない。

健全な民主主義には多様な意見と慎重な議論が不可欠である。少数意見を排除することなく、時間をかけて丁寧な議論ができる理性的な政治をめざす。また複雑な社会問題を過度に単純化して短絡的な答えに飛びつくことなく、科学的なデータや専門知を踏まえた冷静で慎重な政策論議が必要だ。

学問の自由や大学の自治を尊重し、政治と学術が適切な緊張関係と協力関係を保つことも大切である。その上で科学的知見やファクト、専門知に基礎を置く政策立案を行う必要がある。市民社会の多様な意見や弱い立場の人たちの声を政治に反映させるため、パブリックコメントなど選挙以外の市民参加の機会を広げることも大切だ。政治への信頼を回復するため、たとえばオランダの経済分析局のような中立的な独立財政機関を設置し、政党の選挙公約の財政的インパクトや財源、政策効果を評価することも有効だろう。

地方自治は民主主義の学校といわれるが、中央集権的な政治システムが民主主義の劣化と政治へのあきらめを招いているのではないだろうか。中央集権的な行財政の仕組みを変え、地方分権を再び政治のテーマにしなくてはならない。福祉や教育は地域ごとの違いが大きく、中央政府が一元的にサービスを提供するよりも、地方自治体が地域の実情に応じてサービスを提供する方が柔軟で効率的である。特にベーシック・サービスの拡充にあたっては、地方自治体への権限と財源の移譲が重要である。